ゴッホの生きた人生 4

ゴッホのいた、このボリナージュ炭坑は、今ではまったく廃坑になっています。


私は、オランダからの帰途、ここを訪れ、まだゴッホのにおいがしみついてい乃ような、荒れ果てた土地を歩きまわりました。


芽を出した木木の向うに、黒ずんだボタ山が続き、炭坑住宅は、もはや誰も住んではいないのか、まったく人かげが見えません。


巨大な煙突がそびえた精錬所は、森閑としずまりかえり、草のなかを赤錆びたレールがのび、人間らしい気配は、灰色のコンクリートの塀にはられた破れかかったコカ・コーラの広告だけでした。


私は、シャベルをかついだ坑夫や、石炭袋をかついだ女たちを描いたゴッホのデッサンを思い起しました。


そして、それらのイメージと重なるように、ゴッホの、「ああ、いつまで続くのか」という叫びが響くのをきいたのです。


ゴッホにとって、画家という仕事は、世間からも宗教からも締め出された人間の、この「ああ、いつまで続くのか」という叫びそのものから生れ出たと言っていいでしょう。


もちろん、描きたいという欲求は、このときはじめて彼のうちに生れ出たわけではありません。


それは、少年期以来、つねに彼につきまとっていたものです。


彼は、アムステルダム時代の或る手紙のなかで、


「書きながら、ぼくはときどき、このあいだ君に送ったような素描を本能的に描いてしまう」と語っていますが、このような傾向は、それ以前のどの時期においても見られることなのです。


ボリナージュの人びとは、この伝道師が、坑道のなかや外でしょっちゅうスケッチをしていたのを記憶していますが、この欲求はスケッチというかたちで現われるばかりではありません。


ボリナージュに来て間もない頃書いた次の手紙をつらぬいているのは、すでに画家の眼なのです。

ゴッホの生きた人生 3

「ぼくはぼくの無節操のなかで誠実であろうとする人間なのだ。


変わったことは変わったが、ぼくはやっぱりぼくなのだ。


ぼくの苦悩はただひとつ・・・どうしたら自分が何か善いことができる人間になれるか。


何らかの目的に貢献する人に、何かの役に立つ人間になれないものだろうか。


どうしたら一定の問題をもっと長い間、深く極めることができるようになるか・・・このことだよ。


絶えずぼくを苦しめているのは。


それに、ぼくは自分は貧窮の虜になり、どんな仕事からも締め出され、必要なものもとうてい手に入らない気がしてならぬのだ。


これでは憂鬱にならざるを得ないではないか。


こうなると、友情と、強い誠実な愛情のあるべきところに空虚があるのを感ずる。


道徳的エネルギーをさえ蝕むような恐ろしい落胆を覚える。


運命は愛情の本能も阻止する力を持っているように見えてきて、上げ潮のように嫌悪の情がこみあげて来る。


そして叫び声をあげる、『ああ、いつまで続くのか』と」。

ゴッホの生きた人生 2

ゴッホのこの生活ぶりについて、母親は


「フィンセントの手紙にはたくさんの興味深いことが含まれていますが、これらの手紙はあの子がどんなに度外れなことをしているとしても、やはりあの子は貧しい人たちに暖かい関心を示しているのだということをはっきり証明しています。


このことはきっと神様の眼にとまらないはずはないでしょう」と語っています。


しかし、伝道委員会の眼には、彼のふるまいは、あまりにも常軌を逸した、伝道師としての体面をけがすものと見えたようです。


6ヵ月の期限が終ったとき、委員会は、彼の再任を拒否するのです。


彼は、メヘレンからブリュッセルに移っていたピーテルセン牧師の世話で、キュエムのフランク牧師を紹介され、自費でなおボリナージュにとどまることとなりますが、この再任拒否は、彼のなかに閉じようのない傷口を開いたにちがいないでしょう。


伝道師としても、彼は世間一般の道から決定的にはじき出されたのです。


それに、生活の問題があります。


自費でとどまるにしても、彼には収入をうるあてがなく、またもや父や弟に頼るほかはありませんが、頼りにしていた弟までが、いつまでも「年金生活者」のような暮らしを続けるのはやめてほしい、というのです。


翌年の8月、彼がキュエムからテオにあてた手紙は、人生からも宗教からも締め出された人間の、苦痛にあふれた叫びにほかなりません。

ゴッホの生きた人生

ゴッホはボリナージュで、伝道師として献身的に働きます。


彼に必要なのは、貧しい坑夫たちと同じ生活をすることなのです。


彼は、石けんも使いませんでした。


下宿の部屋さえぜいたくすぎると考え、何ひとつ家具のない小屋で、炉のすみで眠りました。


昼は、坑夫たちの家を訪れ、あるいは坑夫たちとともに坑道の底まで降りてゆき、夜は、「毎晩100ページ」本を読みました。


子供のための学校を開いて、神はうやまうべきものであることを教えました。


4月16日に、近くのフラムリという町にあるアグラップ炭坑に爆発が起ったときは、ありったけの下着を破り裂いてほうたいを作り、油を買い、負傷者たちの看護に熱中し、医者も見はなした重傷者を自分の小屋に引きとって、ついにその命をとりとめさせました。


彼のいささか気ちがいじみたこのような行動に忠告した下宿の女主人に、彼は


「善きサマリア人はこれ以上のことをしたではないですか。


聖書を読んで感嘆するようなことをなぜ生活のなかで適用してはいけないのです」


・・・と答えたということですが、このことばは、彼の行動をつらぬくものを端的に示しています。

広州の野味料理「幻の果子狸」

中国南部、特に広州地方の代表的な料理として「野味(野生の獣類)料理」があります。

アワビ・フカヒレ・燕の巣などの高級食材を使う料理から、蛇・蛙・アナグマなど野生の獣まで何でも食べると言われる広州の人々。

なかでも野味料理が世界中で注目されたのは2003年のことです。

その年の冬に中国で大流行した新型肺炎SARS。

感染原因のひとつと推定されたのが「果子狸(ゴォズーリー・guo2zi31i2)」でした。

日本ではその鼻筋にとおる白い線から「ハクビシン(白鼻芯)」といわれる動物です。

果子狸は昔から、野味料理の中でも高級食材のひとつとして扱われてきました。

果物を好んで食べるため、その肉は上品な甘みがあるようです。

有名な果子狸料理としては、しょうゆ味で煮込んだ「紅焼果子狸(ホンシャオゴォズーリー・hong2shaolguo2zi31i2)」があります。

しかし、SARSの感染源としての疑いから、果子狸の一斉処分が行われました。

以降、野味料理に対して厳しい取締りが行われています。

広東省深釧市衛生局の発表した食品安全警告公告では、伝染病防治法や食品衛生法などに基づいて飲食店での果子狸などの提供を禁じています。

野味料理の食材は果子狸だけではありませんが、現在は蛇・猫・アナグマなどすべての野生動物について、食用禁止の方向へと進んでいます。

長い歴史をもち、市民に親しまれてきた「野味料理」の伝統は、衰退の一途をたどっているのです。

かつての名物料理「紅焼果子狸」や蛇・猫・鶏を使った「竜虎鳳大会(ロンフーフォンターフェイ・long2hu3feng4da4hui4)」などは幻の料理となってしまうのでしょうね・・・。

中国人は冷めた弁当は食べないの?・・・その3

中国にもお弁当に似た「盒飯(ホーファン・he2fan4)」といわれるものがあります。

昼時に屋台などで売られており、発泡スチロール製の容器にご飯とおかず数種類を詰めるものです。

その場で食べることもありますし、容器入りなのでお弁当のように持ち運びもできちゃいます。

ですが、やはりご飯もおかずも温かいものに限られています。

最近では日本のように、コンビニでお弁当やおにぎりも売られていますが、やはり冷めたものは人気がないみたいです。

注意すべき点は中国人の味覚のみならず、冷めた料理から受ける印象も然りです。

中国人にとって本来の食事は温かいものなので、冷めた料理を出されると「冷遇されている」「侮辱を受けている」と受け取る中国人も少なくないようです。

中国ビジネスにおいてランチ・ミーティングをする際には、冷めた弁当を出さないよう充分配慮すべきですね!

中国人は冷めた弁当は食べないの?・・・その2

日本の食文化の象徴ともいえる寿司や刺身はもちろんのこと、温かくても生卵を付けて食べるスキヤキなどは、彼らにとっては決して美味しい料理とはいえないのです。

こうした習慣は、中国人をもてなす場合には充分配慮すべき事柄です。

日本の味を知ってほしい、と日本料理を用意してホームパーティーを開く際には、生ものや冷めた料理は避けるのが無難です。

中国人はメンツを大切にするので、ホストのメンツを潰すまいと我慢して食べてくれるかもしれませんが、習慣の異なる彼らにはとても辛いパーティーになってしまうことでしょうから。

さらに中国人はお弁当を食べない、と言われます。

彼らは、昔から食事は温かいものと思っているため、日本のお弁当のような冷めた料理を食べる習慣がありません。

しかし、お弁当という概念がないわけではありません。

それはまた次回に!

中国人は冷めた弁当は食べないの?・・・その1

中国に行って驚くことのひとつに、中国人冷めた料理は食べないということが挙げられます。

中華料理では前菜として、棒棒鶏(バンバンジー)やピータンなど多少の常温もしくは冷たい料理があるくらいで、基本的に料理は温かいものばかりです。

さらに中国人は生ものも受けつけません。

生ものや冷めたものより火を通した温かいものの方が衛生上安全だという古くからの考えと、冷めたものや冷たいものは身体によくない、という漢方医学に基いた考えに由来すると言われていますが、それは今でも中国人の中に息づいている習慣なのでしょうね。

中国の円卓と大皿料理・・・その2

大勢で円卓を囲んで大皿料理を分け合う中国の食習慣は、食事の作法を重んじる日本や西欧と比較すると、その考え方の違いは明らかです。

大皿に盛られた料理を皆で取り分けて食べるという行為は、初めから個別に用意された料理を食べる習慣の強い欧米人にとっては、なかなか馴染めないことかもしれません。

また「同じ釜の飯を食う」という言葉がある日本でさえ、実際のところは個別によそられた料理を食することが多いものです。

ですが、中国では文字通り、同じ皿の料理を分け合って食べるのです・ホストはゲストに料理を取り分けることでもてなしの心を表現し、ゲストもそんな行為を受けることでより親密な関係を築いてきました。

中国独自の円卓と大皿料理には、長い年月をかけてさまざまな民族が融合し、ひとつの国を作り上げてきた中国ならではの、相手を思うもてなしの心とコミュニケーション方法が隠されています。

中国の円卓と大皿料理・・・その1

中国人にとっての食事とは、生きるために必要な行為です。

これは日頃挨拶として使われる「(チーファンラマ:ご飯食べた)?」という言葉からもうかがえます。

日本では「ご機嫌いかが?」「いい天気ですね」といったあいさつ文句が使われますが、中国では「ご飯食べた?」という言葉になるのです。

食生活を重要視している中国ならではのあいさっといえるでしょう。

それと同時に、食は単に空腹を満たすだけではなく、食卓を共にする相手との関係を深めるための大切な行為であるという意識が強いのも確かです。

一般的な中華料理のイメージでもある「円卓」と「大皿料理」もその表れといえるでしょう。

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