ゴッホの生きた人生 4
ゴッホのいた、このボリナージュ炭坑は、今ではまったく廃坑になっています。
私は、オランダからの帰途、ここを訪れ、まだゴッホのにおいがしみついてい乃ような、荒れ果てた土地を歩きまわりました。
芽を出した木木の向うに、黒ずんだボタ山が続き、炭坑住宅は、もはや誰も住んではいないのか、まったく人かげが見えません。
巨大な煙突がそびえた精錬所は、森閑としずまりかえり、草のなかを赤錆びたレールがのび、人間らしい気配は、灰色のコンクリートの塀にはられた破れかかったコカ・コーラの広告だけでした。
私は、シャベルをかついだ坑夫や、石炭袋をかついだ女たちを描いたゴッホのデッサンを思い起しました。
そして、それらのイメージと重なるように、ゴッホの、「ああ、いつまで続くのか」という叫びが響くのをきいたのです。
ゴッホにとって、画家という仕事は、世間からも宗教からも締め出された人間の、この「ああ、いつまで続くのか」という叫びそのものから生れ出たと言っていいでしょう。
もちろん、描きたいという欲求は、このときはじめて彼のうちに生れ出たわけではありません。
それは、少年期以来、つねに彼につきまとっていたものです。
彼は、アムステルダム時代の或る手紙のなかで、
「書きながら、ぼくはときどき、このあいだ君に送ったような素描を本能的に描いてしまう」と語っていますが、このような傾向は、それ以前のどの時期においても見られることなのです。
ボリナージュの人びとは、この伝道師が、坑道のなかや外でしょっちゅうスケッチをしていたのを記憶していますが、この欲求はスケッチというかたちで現われるばかりではありません。
ボリナージュに来て間もない頃書いた次の手紙をつらぬいているのは、すでに画家の眼なのです。