ゴッホの生きた人生 2
ゴッホのこの生活ぶりについて、母親は
「フィンセントの手紙にはたくさんの興味深いことが含まれていますが、これらの手紙はあの子がどんなに度外れなことをしているとしても、やはりあの子は貧しい人たちに暖かい関心を示しているのだということをはっきり証明しています。
このことはきっと神様の眼にとまらないはずはないでしょう」と語っています。
しかし、伝道委員会の眼には、彼のふるまいは、あまりにも常軌を逸した、伝道師としての体面をけがすものと見えたようです。
6ヵ月の期限が終ったとき、委員会は、彼の再任を拒否するのです。
彼は、メヘレンからブリュッセルに移っていたピーテルセン牧師の世話で、キュエムのフランク牧師を紹介され、自費でなおボリナージュにとどまることとなりますが、この再任拒否は、彼のなかに閉じようのない傷口を開いたにちがいないでしょう。
伝道師としても、彼は世間一般の道から決定的にはじき出されたのです。
それに、生活の問題があります。
自費でとどまるにしても、彼には収入をうるあてがなく、またもや父や弟に頼るほかはありませんが、頼りにしていた弟までが、いつまでも「年金生活者」のような暮らしを続けるのはやめてほしい、というのです。
翌年の8月、彼がキュエムからテオにあてた手紙は、人生からも宗教からも締め出された人間の、苦痛にあふれた叫びにほかなりません。